☆ふとした瞬間に☆
パオがいなくなったことは哀しい現実として受けとめてはいます。
けれど、ふとした瞬間にパオがいる錯覚に襲われます。

買物とかに出かけようとするとき、パオが追っかけてきてるような・・・
パオはいつでも私の行動を観察していて、出かけるのを察知すると
置いていかれるのが嫌だったので、すごい勢いでついてきてましたから。

ダイニングの TV の前で鼾をかいて寝ているような・・・
この季節ならガスファンヒーターの前で寝てるはずなんですが。

そう~こんな風にガスファンヒーターを一人占めしてるような・・・
今 パオは寒くないのかなと心配になったりします。

テーブルの下で 「 わん! 」 と一声 「 乗せて! 」 と声が聞こえてきそうな・・・
私が椅子に座ってると必ずと燐の椅子に乗りたがったパオでしたから。
そのくせ椅子に乗せて、私が席を立つと 「 わん! 」 と降りたがったけど。
家じゅうにパオを感じます。
そこらじゅうにいたはずのパオがいないことが今でも信じられません。
出かけたら出かけたで、助手席にパオがいないことが信じられません。

5~10分くらいの買い物なら大人しく待ってたパオ。
パオが待ってるはずもないのに、今でも買物を急ぐ癖が抜けません。
パオが待ってるような気がして・・・


☆夢に現れたパオ☆
パオが夢に現れました。
といっても・・・私の夢ではなく夫の夢に出てきたそうです。
家から1~2分の外科に夫が行ったら、受付の方に
「 わんちゃんがついてきてますよ!」 と言われ
ふと見るとパオが後ろについてきてたそうです。
パオは生きてたときのそのままの3本足の姿だったそうです。
夫は夢の中で、階段をどうやって降りたのだろう?
信号をどうやって渡ったのだろう?と思ったそうです。

パオは私の夢にはまだ現れてくれない・・・
そういえば・・・パオがまだ足が4本だったころに
家の前の道路をひとりで渡ったことがありました。
その日は私が一日中大阪かどこかの仕事で事務所にいなかったので
夫の店にパオを置いていったときのことです。
たぶん、裏口から出てガレージをまわって、店のガラスドアの前で 「 わん! 」 と
「 入れてくれ! 」 と吠えたけど、夫が気づかなかったので
ひとりでとぼとぼと道路を渡ってる時に車が通って
その車の方が車を止めて降りてきて、パオを抱きあげてるところを
たまたま母が二階のベランダから見ていて、大声で 「 その子はうちの子です! 」 と
言って、夫に知らせたそうです。
パオは店に入れてもらえず、どこへ行こうとしてたのかは未だに謎です。
ガレージを戻って裏口から入る知恵は、まだ幼いパオにはなかったのでしょう。

パオが私の夢に現れず夫の夢に現れたのは
私のことを怒ってるからかもしれません。
夫に 「 お母さんはわたしをおいていかはった・・・」 と訴えてるに違いない・・・
パオ・・・ごめんね・・・
パオがいくら頭が良くても、翌日迎えに来るとは理解できなかったでしょうに・・・
不安でひとりさみしく死んでいったパオを思うと
今でもほんとうにやりきれません・・・


☆葵・週一回の注射☆
ちょうど7週間前の10月9日の水曜日。
パオが9月11日から毎週水曜日に病院へ行ってから5回目でした。
まだ行くはずだったのに行けなくなってしまって
その代りに葵が毎週水曜日に病院へ行くことになったのも
偶然といえば偶然です。( パオは9月11日以前も病院通いはしてましたが )

最後となった耳洗浄と耳掃除

待ち合いでもパオのように抱いたり 椅子に座らせることのない葵です。

同じ診察台の上で注射をしてもらった葵
体重が行く度に少しづつ増えて、昨日は11.35キロ
パオの祭壇のお供えのお下がりや頂いたおやつを食べてるからでしょうね。
ということは doux も体重が増えてるかもしれませんね。

祭壇には ささみ・さつまいも・ドッグフード・お水・飲めなかったフィラリアの薬まで。
おやつも20袋以上あったんですが、葵や doux が毎日少しづつ食べてます。
ささみやさつまいもはその日中に葵や odux にあげてますから食べ過ぎですね。

病院の帰りにガソリンスタンドで給油しました。
葵はパオの指定席だった助手席をゲットできて得意顔ですかね?
来週も注射に行くからね!


☆過去を振り返る毎日☆
仕事をやめてから出張もなくなり
パオを留守番させてまで旅行にも行かなくなってました。
遠方の結婚式とかで一泊で留守番させたことはあったのと
パオを連れていこうと思った石垣島も飛行機が怖く
パオを留守番させていったのが約7年前でした。
昨年の11月22日~26日まで5泊で、初めて宮古島に行きました。
なので、長期でパオが留守番したのは昨年が実に6年ぶりでした。

昨年11月26日の20時過ぎのパオ
そして翌日の27日に病院へ行きました。

その帰りに年末ジャンボを買いに行きました。

いつも何をするにもパオがいました・・・
今年は宝くじを買う気もしません・・・
こうして過去ばかり振り返ってる毎日が、一体いつまでつづくのでしょうか・・・


☆信じていたのに・・・☆
パオはいろいろと持病をかかえてはいたけれど
食欲もあり、「 わん! 」 の一声も大きく、元気そのものだったので
まだ少なくとも2~3年は十分に生きると信じていました。
どんなささいな病気も早期発見で、その結果 悪化もせず 元気でした。
それなのに・・・なぜ急に死んでしまったんだろう・・・
最善をつくしてきたはずなのに・・・
これくらい寒くなると

散歩もブランケットを3枚ぐるぐる巻きにしてカートから降りなかった寒がりのパオ

部屋ではガスファンピーターの前で寝てたパオ

寝る時はベッドの中にもぐり込んできたパオだったのに・・・
今年の冬はパオの温もりのないベッドで寝るしかない・・・
もう少しそばにいてくれると信じていたのに・・・


☆きっちり14年間☆
1999年10月12日に生後2カ月足らずで家族になったパオ。
きっちり14年間そばにいてくれて・・・翌日に永遠のお別れとなりました。

1999年10月12日のパオ。
仕事で遅く帰っても、出張から帰っても、骨折で入院したときも
昨年11月~今年9月に4回、宮古島や沖縄本島に行ったときも
必ず家でおとなしく待っていてくれたパオでした。
家を留守にしたときは海外でも国内でも毎日のように
パオがどうしてるか電話で夫に聞いていました。
さみしくて嘔吐したときもあったけど
最近は嘔吐もなく実にお利口に留守番してくれてました。
帰ったらパオが待っててくれるので、出張や旅行も安心して行けました。
毎日の日常は買い物ひとつにしてもパオと一緒でした。
スーパーやパン屋さんなどは車でおとなしく待ってくれてたし
銀行やパオが入れるお店には必ずパオを連れて入りました。

いつもおとなしく助手席にいたパオ
私が骨折した10年前までは、パオは膝の上にいました。
車のハンドルに顎を置き、気持ちよさそうに寝てました。
まだ ETC がなかった時は、高速の料金所で係員に頭を撫でてもらっていました。
14年間、5114日。
パオがいて当たり前だった日々でした。
パオがいなくなって43日。
このさみしさに耐えながら・・・
これからの5114日以上の日々を過ごさなくてはならないかも知れません。

パオがもういないことは哀しい現実として受けとめています。
でも・・・ふとした瞬間に・・・パオがいる錯覚におちいります・・・
パオにご飯あげなきゃ・・・
パオにおしっこさせなきゃ・・・
パオと寝なきゃ・・・
家の中のそこらじゅうにパオがいた記憶が甦ります。
ここで寝てたな・・・ここで 「 わん! 」 と吠えたな・・・
14年間きっちりいてくれたパオがいないことは、耐えがたい現実です・・・


☆葵・週一回の通院☆
昨日の午後に病院から電話があり、葵の皮膚の何か所か禿げてる件で
先週、検査をした結果が分かったので注射で様子をみるとのことで
昨日の夕方、病院へ連れて行きました。
ちょうど6週間前の10月9日にパオを病院へ連れて行ったことが
ずっとずっと過去のことのような気がしました。

10月9日、病院の待ち合いでのパオ
まさか最後の病院になるなんて想像もしていなかった・・・
翌週の16日に耳洗浄と培養検査に行くはずだったのに・・・
パオがいつも乗ってた助手席に葵を乗せて病院へ行きました。

葵はパオと違って窓の外を見ています。

葵の禿げは、カビや細菌の培養検査をしましたが、そのどちらでもないので
たぶん? 「 ニキビダニ 」 の可能性が高いとのことでした。
週一回の注射で様子をみることになりました。
主治医とパオの話をしたら、主治医はしみじみと言ってくれました。
いろんなことも乗り越えて健気に頑張ってた愛くるしい顔のパオだったと。
肺や呼吸の調子も悪くなかったし、もう少し長生きしただろうと。
主治医の元でパオが死んだのなら納得できたはずです。
いろんな場面で助けてもらったし、心から信頼していますから。
日が経っても、さみしさ、かなしさ、むなしさ、つらさ、せつなさは
募るばかりです・・・
あぁ・・・たまらなく・・・パオに会いたい・・・

