☆パオが残していったもの☆
パオが残していったものは、いちばんに数えきれない想い出です。
今でもそのいろんな場面を鮮明に覚えています。
まるまる14年間、毎日のようにパオと時を過ごしたからです。
仕事をしてるときも事務所に連れて行き、ときには営業先まで一緒でした。
仕事をやめてからも、ほぼ毎日のようにパオと出かけてました。

昨年2013年1月11日のパオ
家にいるときも必ず隣にパオがいました。
夜寝る時も、寒いときは同じベッドで一緒に寝て
暑いときはベッドの下のパオの布団の上で寝てました。

同じく2013年1月11日の晩ご飯風景
想い出以外にパオが残していったものも数多くあります。
まだ捨てられない、フィラリアの薬、使いさしの白内障の点眼薬と新品の点眼薬。
ネブライザーの機械と使いさしの生理食塩水と3種類の薬。
歯ブラシに、最後に車の中で敷いてたトイレシーツ。
10月12日までパオが寝てたタオルケットも洗わずに。
車の中で使ってたパオのクッション、寒いときの散歩用の湯たんぽ。
オフ会で数回しか使ってない、携帯ストーブや扇風機。
外出用のカートもパオがいたときのように車のトランクに入れたままです。
小さいころ身につけてたネックレスやバンダナ。
もちろん、パオが着てた洋服の数々も。
パオが残していったものを考えると、パオが不憫に思えてならないのです。
何ひとつ持たずに旅立っていったパオ。

犬は 『 死 』 というものが理解できないから
もし今、パオが戻ってきたら、葵と doux は大喜びで迎えるでしょうね。
もちろん この私がいちばん嬉しいけど・・・そんなことがないのが悲しい・・・


☆リンパ腫に負けるな!☆
パオ~お願いがあるの。
パオのお友だちのえいきちくんがリンパ腫に負けないように応援してほしいの。
パオにも何回もお話したよね。
えいきちくんが昨年の5月からリンパ腫と闘ってることを。
パオがいなくなってからも、えいきちくんはずっとずっと頑張ってるんだよ。
パオが生きられたであろう年月を、えいきちくんにあげてもいいよね。
パオの分もえいきちくんには長生きしてほしいと、パオも思うよね。

昨年2013年1月9日のパオ

一昨年2012年1月9日のパオ
パオ~えいきちくんを見守ってあげてね。

昨年2013年11月24日の公園での えいきちくん

今日の えいきちくん
お顔に白いものが目立つようになったけど、元気で何よりです。
えいきちくん パオの分まで長生きするんだよ!


☆想い出が多過ぎて☆
パオがいなくなって、パオがいた丸14年間を考えると
パオの存在が特別だったので、パオとの14年間には重みがあり過ぎます。
いくら家で引きこもってるとはいえ、毎日なにかしら出かけてはいます。
散歩以外は車で出かけるのですが、どこを走っても
ここもパオと行ったという場所ばかりです。
それほどいつもパオと一緒だったんだと思い知らされている毎日です。

昨年2013年1月7日のパオ
この日は午前中に私が整形外科(ギックリ腰のブロック注射)に行き
お昼に七草粥を少しだけ食べさせて、腰も痛かったので家でゆっくりし
夜にパオといつもの居酒屋へ行きました。

河豚のてっさを食べたパオ
一人前のてっさの三分の一はパオが食べたような気がします。
葵や doux はパオがいなくなってから、病院と散歩以外どこへも行ってません。

最近は暖かい部屋でゆっくり過ごすことが多く
散歩とご飯の楽しみ以外は寝てるか、2匹で遊んでいます。

特に葵は車に乗るのが大嫌いなので、ちょうどいいかも知れません。

ちょうど一年前、てっさに目の色が輝いていたのを鮮明に覚えています。
いつもいつも一緒だったパオ。
あまりにも想い出が多過ぎて・・・
毎日が悲しく・・・つらすぎます・・・


☆乗り越えられるのか?☆
パオがいなくなって85日。
まだまだパオのことを思わない時間は全くといっていいほどありません。
四六時中パオのことばかり考えています。

一昨年2012年1月6日のパオ
今までに犬を亡くした方々の乗り越え方を思いめぐらしてみました。
しばらくして同じ犬種の犬を飼って、その子を可愛がって乗り越えた方々。
しばらくして違う犬種の犬を飼って、その子を可愛がって乗り越えた方々。
一切、犬は飼わず、乗り超えた方々。
多頭飼いの場合は残された犬で癒され、乗り越えた方々。
今も次の犬を飼おうか迷いつづけ、やっと納骨して乗り越えた方々。
でも・・・見た目は乗り越えたように見えるけど
きっと心のどこかでは乗り越えられていないのかも知れません。

同じく一昨年2012年1月6日のパオ
私には残された葵と doux がいます。

でも葵はあくまでも葵で、パオではありません。

同じように doux は doux で、パオではないのです。
もちろん葵も doux も可愛いです。
でも・・・決してパオではないのです・・・
パオはあくまでパオそのものなのです。

3年前の2011年1月6日のパオ
心の痛み、喪失の悲しみに終わりはない。と思いますが
どうしたら少しでも心が和らぐのでしょうか?


☆年賀状をくださった方々へ☆
年始早々に年賀状をくださった方々へ
喪中のはがきも出さず、ブログで喪中をお知らせしたのも
12月19日と遅かったので、年賀状をお出しになったのだと
思います。お知らせが遅くなったことと
年賀状のお返事を出さないご無礼をお許しください。
本来なら寒中見舞いを出さなくてはならいのですが
寒中見舞いも失礼しますことをここにお詫びいたします。

昨年2013年1月5日のパオ
パオがいなくなってのお正月は少しもめでたくもなく
新年の挨拶をするのも嫌でした・・・

一昨年2012年1月5日のパオ
私の気持ちを察して、新年の挨拶を控えてくださった方々には感謝しています。
だからといって年賀状をくださった方々を責めてる訳では決してありません。
パオは犬ですから・・・
でも・・・私にとってパオは犬という存在を遥かに超え
自分の分身のような存在だったので、新年のご挨拶を控えさせていただきました。
私の勝手で新年のご挨拶をしないご無礼をお詫びするとともに
年賀状をくださった方々にお礼を申し上げます。


☆さみしくなりました☆
孫と二女が沖縄に帰るので神戸空港まで送って行きました。
2年前の3月24日に、神戸空港に迎えに行ったときは
パオも一緒だったことを思い出していました。

2012年3月24日のパオ

孫が出てくるのを待つパオ
なにかにつけてパオと結びつけて考えてしまいます。
どこへ行っても、あのときパオも一緒だったと思い出します。
それほどパオはどこでも一緒でしたから・・・

飛行機に乗り込むところが見える場所から手を振りました。

次に帰ってくるのは3月25日以降です。
しばらくさみしくなります。
パオがいないので、なおさらさみしく感じます・・・

一年前の1月4日のパオ
この日も孫と二女が沖縄に帰った日です。
ギックリ腰が酷かったので空港まで送ってあげられなかったのを覚えています。


☆パオは許してくれてる☆
パオがいなくなって81日。
パオの想い出が全くない2014年が始まって
もうパオがいなくなって80日以上過ぎたのに
パオを失ったときの哀しみは、時が解決するどころか
日に日に哀しくなっていく・・・
この81日間、真っ暗闇の世界から抜け出せずにいます。

8月15日の満14歳のパオの誕生日にチャコママから頂いたお花とパオ
この一週間前にチャコちゃんを亡くされたチャコママでした。
この時のお花は枯れてしまったけど、メッセージカードは今も残しています。
「 パオちゃん お誕生日おめでとう 長生きしてね 」
この願いもむなしく、2カ月も経たないうちにパオは死んでしまったのです。

今もお花に囲まれてるパオだけど・・・パオはもういない・・・
毎日毎日パオのことしか考えず、涙を流してる私ですが
こんな弱く情けない私をパオは許してくれてると思います。
5年前にパオが悪性腫瘍と分かり、断脚術をするかしないかを悩んでたときも
私はパオの前では泣かない強さを持っていました。
一昨年の7月にウィルス性感染症でパオが ICU に入るほど重症だったときも
泣かない強さがありました。
これ以外の手術のときも、いつも心の中で 『 パオは必ず大丈夫。 』
と強く信じて、そう思える前向きな私でした。
でも・・・パオがいなくなった今は
その強さと前向きさがガタガタと音をたてて崩れ落ちてしまいました。
3日前の12月30日の夜11時すぎ。
一人でダイニングの椅子に座ってると、私の部屋のドアの向こうで
「 わん! 」 と私を呼ぶパオの声が聞こえました。
急いで部屋のドアを開けましたが、そこにパオの姿はなかったですが・・・
きっと空耳だったのでしょうが、パオは確かに家にいると実感しました。

パオはいつも私の傍にいると信じなければ生きていけません。
そして、泣いてばかりの私をきっとパオは許してくれてると思います。

