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☆最期の迎え方その3☆
最期の迎え方のその1と2で、7頭の犬の最期を書きました。
もう済んだことですが、それぞれの悲しみがありました。
パオが亡くなって、もうすぐ7年が経とうとしています。
この7年はあっという間のような、すごく長かったような
なんとも複雑な気持ちです。

9年前の9月18日のパオ
よく この寝方をしてたこと思い出します。
あくまで、わたしの考えですが、最期の迎え方に関して
幸せだったのは、だんとつでプーだと思います。

16歳6か月16日と長生きだったこと。
ペットショップではなく、産まれた普通の家庭から直接きたこと。
病気は子宮蓄膿症の手術だけだったこと。
少しもぼけずに、亡くなる2~3日前だけ
少し歩きずらかっただけだったこと。
そして、水を飲んでから目を離した1時間の間に
眠るような最期だったこと。
次はみゅうみゅう。

家で産まれたこと(ベティの子)
ほんとはよその家にもらわれていくはずだったのですが
ノアと共に家に残りました。
12歳8か月18日とものすごく長生きではなかったですが。
ノアが亡くなってから、フレブルのオフ会に行き
「地蔵犬」と呼ばれ、みんなに可愛がってもらってました。
前日まで元気に散歩に行き、翌日1~2時間ほど調子が悪かっただけで
病院へ向かう車中で苦しまずに家人の腕の中で最期を迎えました。
その次は迷いましたが、ペー。

肺がんにはなったけど、苦しまずに家人に看取られての最期でした。
9歳9か月と10歳を迎えられなったけど、
住み慣れた家で眠るような最期だったから。
その次はベティ。

14歳9か月22日と、長生きでしたが、角膜脳腫で失明し
足が広がり歩けなくなり、ぼけて夜鳴きが酷い状態でした。
ぼける。というのは人間も犬も哀れだと思います。
その次はムク

16歳1か月と長生きでしたが、亡くなる5~6か月前から徐々にぼけて
両目は見えず、徘徊し、垂れ流し状態、やせ細り、家人が分からず
亡くなる前日の夜から、一晩中鳴き続けての最期でした。
その次はノア。

家で産まれ母ベティと姉妹みゅうみゅうと一緒に過ごし
避妊手術以外、何も病気せず、パオと仲良しで、おとなしく
幸せな毎日を暮らしていたのに・・・
わたしの判断ミスで、歯槽膿漏の術前に亡くなりました。
朝、ノアだけ車に乗せて病院へ行く途中、
すごく嬉しそうにしてたノア。
病院へ着き、何かを察したのか急に震えだしたノア。
このときに預けないで帰るべきでした・・・
たぶん?麻酔のミスでの最期となりました。
震えたノアはその後、ずっと震えていたのだろうか?
麻酔をかけられるとき、どんな思いをしたのだろうか?
そのまま亡くなったであろうノア。不憫でたまりません。
その次がパオ。

パオのことはもう語りたくない・・・
2013年10月14日以降のブログにすべて書きつくしました。
未だにそのブログを見れない状態のままです。
ノアにしろ、パオにしろ、病院で亡くなった。
というのがあまりにも可哀想過ぎます。
それも普通なら亡くなるケースではなかったのです。
長生きしようが、少し短かろうが、住み慣れた家で亡くなるのが
いちばんの幸せだと思います。
それも飼い主のことが分かってるのがベターです。
葵、今日久しぶりのシャンプーに行きました。
(写真を削除しました)
疲れたのかぐっすり寝ています。
朝5時くらいに起き、6時くらいから18時くらいまで
家中をうろうろ歩きまわっています。
もちろん時々は寝てますが、ほぼ起きてうろうろしています。
脳腫瘍の症状のひとつに痴呆がありますから、
痴呆が進んで、歩きまわってるのかもしれません。
この前、Facebookにはシェアしましたが、
この本 老犬たちの涙 を読んで、いろいろと考えさせられました。


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